市場とあなたのあいだのズレ
ここ数年、高級時計の価格は(安定しているもの、上がり続けるものももちろんあるのですが)まるで株式のように上がり下がりしています。
SNSを開けば、相場の速報や「いま買うべきモデル」が毎日のように流れ、
人気ブランドの話題は一種のニュースのように扱われています。確かにそれは面白い世界です。
でも同時に、私たちは**“数字で測る癖”**に少し慣れすぎてしまったのかもしれません。
「市場価値」という幻影の透明度
市場が示す価値とは、人の心理の集合体です。
誰かが「高い」と言えば価値が上がり、話題から外れれば、静かに沈んでいく。そこに映るものは確かに美しいけれど、水面の下には、もっと深い“あなた自身の価値観”が眠っています。
あなたがその時計を選んだ理由、それを初めて腕につけたときの鼓動。そこに市場の数値は存在しません。


SNSが生んだ「他人の価値」の時代
今の時代、時計を選ぶ行為は“他人の選択”に囲まれています。
SNSを開けば、美しい写真、限定モデル、話題のリファレンスが並び、
まるで自分の欲望が“誘導”されているかのように感じることさえあります。
けれど、本当に惹かれた理由を思い出してみてください。
“誰かが持っているから”ではなく、
“自分が見た瞬間に何かを感じたから”ではなかったでしょうか。時計は、他人の評価を借りて身につけるものではありません。それは、自分の感性の証です。
“あなたの価値”は、内側で静かに育つ
市場が上がろうと下がろうと、あなたがその時計を見て心が動くならその時点で価値はもう成立しています。たとえ値段が下がっても、その一本が共に過ごした時間の意味は変わらない。
価値とは “体験の密度” に比例して増していくものなのです。
毎日腕に巻くたびに感じる重み、
風合いを増すブレスレットの輝き、メンテナンスを重ねるたびに、
時計を守ったという安心感、蘇る感覚――
それらすべてが、あなた自身が育てた価値です。
定期的にメンテナンスを重ねることは、
時計を守るだけでなく、あなた自身の時間感覚を整える行為でもあります。
それは機械のためというより、
自分がどんなリズムで時を感じているのかを確かめるための時間です。
道具としての時計から、モノ(存在)としての時計へ
かつて、時計は「時間を知るための道具」でした。
しかし、今の私たちにとってそれは、
“時間を感じるための存在”になりつつあります。
時間を知るだけならスマートフォンで足りる。
それでも人は、ゼンマイを巻き、針の動きを見つめ、
その静かな機構に心を委ねたくなる。
そこには、数値では語れない**“存在の美”**があります。
つまり時計とは、道具ではなく“もの”。
使う対象ではなく、感じる相棒なのです。
価値とは、関係の深さで決まる
あなたと時計の関係が長くなるほど、
その一本は“他の誰のものでもない時計”になります。
小さな傷も、磨かれた面も、
あなたの時間が刻まれた証。
市場がつけるラベルは、いずれ誰かが貼り替えるかもしれません。
でも、あなたの時間が染み込んだ時計の価値は、
誰にも書き換えることはできません。

あなたへの問い
あなたがその時計に感じる価値は、
“いくら”ですか?
それとも “どんな時間”をくれた存在ですか?
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